総務省は、「発信者情報開示」を簡素化すべく、有識者による「発信者情報開示の在り方に関する研究会」を立ち上げて、新たな制度の創設を検討しています。
発信者情報開示とは、インターネット上に違法な情報が投稿された際に、被害者が投稿者を特定するために行う裁判上の手続です。
今回は、総務省が発信者情報開示制度の簡素化を検討し始めた背景、理由、そして検討されている新たな制度案について解説します。
目次
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総務省が発信者情報開示について、新たな制度を創設しようとしている背景には、現状の手続の煩雑さと、インターネットサービスの変化があります。まずは、現状の手続の問題点について解説します。
現状の発信者情報開示の手続においては、「2度の裁判上の手続」を行わなければ、投稿者を特定することができませんでした。その上で、被害者が投稿者に対して損害賠償請求をするという流れです。
※発信者情報開示の詳しい流れについてはこちらの記事をご参照ください。 ネット上で誹謗中傷等の被害を受けたら、記事を削除するだけではなく「投稿者を特定」することが重要です。相手が誰か分からないと、損害賠償請求(慰謝料)や刑事告訴もできないからです。 以下では、ネット誹謗中傷の投稿者を特定するまで... ネット中傷の投稿者を特定するまでの流れ~IPアドレスから情報開示まで - 弁護士法人アークレスト法律事務所 |
投稿者が損害賠償請求に応じなかった場合は、さらに「損害賠償請求訴訟」を提起しなければならず、被害者の経済的負担や、手続上の負担は大きくなります。
2度の裁判上の手続を経て、投稿者を特定するために弁護士に手続を依頼した場合、弁護士報酬だけで100万円近い費用が必要となるケースもあります。
投稿者の書き込みに違法性があり、損害賠償請求が可能であったとしても、投稿者が賠償金の支払いにすぐさま応じるとは限りません。その場合は、さらに弁護士による請求費用や、訴訟のための費用が必要となります。そして、訴訟で投稿者の違法性が認められ、損害賠償請求が認められたとしても、投稿者の特定や訴訟に要した費用を賄えるだけの金額になるとは限りません。
そういった事からこれまでは、被害者が費用や手続の煩雑さに躊躇してしまい、泣き寝入りをしてしまうケースが少なからず存在していたのです。
発信者情報開示請求が制度化された平成13年の時点では、発信者情報開示請求手続によって開示可能とされているのは以下の情報に限られていました。
しかしながら近年登場したSNSの中には、上記の情報だけでは投稿者を特定することができないケースが増加しています。現在では、「ログイン型投稿」と呼ばれるサービスが増えています。具体的には、GoogleやFacebook、Twitterです。これらのサービスにおいては、投稿時の記録が存在せず、ログインした際の記録のみが残されています。現状のプロバイダ責任法の総務省令では、それらの情報開示が認められるとは明文化されておりません。
訴訟になった場合でも、ログイン時の情報を開示するかどうかの判断はわかれているのです。 被害者の権利侵害が明らかであっても、この問題によって投稿者を特定できないケースが年々増加していることも、発信者情報開示請求手続の在り方が考え直されることになった要因の1つです。
上記の総務省による発信者情報開示制度の見直しの流れを加速化させたのが、リアリティーショーの出演者の自殺です。
若者を中心に人気を集めているリアリティショーの出演者が、自ら命を絶つ事例が世界各国で続発しています。日本でもプロレスラー木村花さんの自殺によって、リアリティーショーの在り方、SNSを中心とした誹謗中傷が問題視されるようになりました。
木村さんの自殺が報じられると、Twitter等のSNSには、「誹謗中傷等で他人の権利を侵害する投稿をすべきではない」といった意見が数多く投稿されました。木村花さんの自殺をきっかけに、「誹謗中傷によって人の命が奪われることがある」と、多くのSNS利用者が自覚をしたのです。
ところが、現在でもリアリティーショーの出演者に対する執拗な誹謗中傷が、各SNSで散見されています。木村花さんの自殺の際に、「誹謗中傷は殺人だ」という趣旨の投稿をしていた人物が、リアリティーショーの出演者の振る舞いについて「●●はビッチだ」、「●●は低脳だ」と発言しているのです。
世界各国でも、何人ものリアリティーショーの出演者が誹謗中傷を理由に自殺をしているにも関わらず、SNSでの誹謗中傷はなくなりません。
SNS等で、不用意な発言や道義的に問題がありそうな発言をした投稿者を、「鬼の首を取ったかのように多勢で攻撃する事例」も少なくありません。最近では、「飲食店主に入店する際はマスクを付けるようにと指示された、とある有名人によるTwitterへの投稿」が大きな注目を集めました。有名人が、そのやりとりの一部をテキストで公開したところ、当該飲食店への批判が殺到したのです。結局飲食店は一時閉店を余儀なくされ、店主の家族は寝込んでしまいました。
一方で、有名人側にも非難の声が殺到しています。そして、有名人も誹謗中傷によって権利が侵害されているとして、法的措置を検討すると発言をしました。飲食店を一時閉店に追い込んだ有名人を、加害者として非難をしていた一般人が、加害者になってしまう可能性もあるのです。
現場での正確なやりとりは当事者にしかわからず、どちらの主張が理にかなっているのか、正当性があるのかは外野からは判断できません。しかしながら、彼らに対する誹謗中傷は明らかに度を超えており、SNSによる集団心理の恐ろしさを物語っているといえます。
こういったインターネット上での誹謗中傷は、インターネットの普及により増加の一途をたどってきました。
発信者情報開示が制度化されたのは、プロバイダ責任制限法が成立した平成13年です。当時は、今のようなSNSサービスは普及していませんでした。平成13年当時、隆盛を誇っていたのは巨大掲示板「2ちゃんねる」です。2ちゃんねるの利用者は非常に多く、数多くの投稿がなされていましたが、「書き込みをすること」は一般的とはいえませんでした。
そして、平成15年、平成16年にかけて、日本ではmixi、GREEなどのSNSサービスが開始。平成20年以降はTwitterやFacebook、Instagram等のSNSが登場して、一般の方が気軽に情報を発信できるようになりました。
各種SNSの普及に伴い、インターネット上での名誉毀損や著作権侵害といった違法性がある情報の投稿も増加しています。総務省が運営している「違法・有害情報相談センター」に寄せられている相談件数は、平成22年時と比較すると4倍程度まで増加しています。
誹謗中傷の件数は、情報発信の一般化に伴い増加しているにも関わらず、発信者情報開示手続は、その手続の煩雑さから手軽に行うことができません。発信者情報開示手続が、違法なインターネット投稿の抑止力として、作用しているとは言い切れない状態です。
令和2年4月30日に第1回目が開催された、「発信者情報開示の在り方に関する研究会」は、10月26日までに9回開催されています。9回目には、制度改正の骨子案が公開されました。早速骨子案の内容を確認していきましょう。
現行の発信者情報開示において開示が認められる情報では、投稿者の特定が困難なケースが急増しています。
そこで発信者情報開示の際の、開示対象を拡大すべきとの提言がなされています。具体的には以下の情報についても、必要に応じて開示されるようにとしています。
このうち、電話番号についてはすでに総務省令が改正されています。令和2年8月31日にプロバイダ責任制限法の総務省令が改正されて、発信者の電話番号の開示請求が可能となりました。 この改正によって、「ログ保存期間切れ」や「自宅外の公共Wi-Fi等からの接続」によって投稿者を特定できないといった問題が解決できる可能性があります。
また電話番号を入手することで、弁護士が「弁護士会照会」を行えるようになるため、従来よりも手続が容易になると考えられています。ただし、弁護士会照会を拒否する企業も存在することから、電話番号の開示が発信者情報開示の問題を、抜本的に解決できるとはいえません。
発信者情報開示の手続には時間・費用がかかり、被害者が泣き寝入りしてしまう事例が少なくないことから、新たな制度の創設が検討されています。
新たな制度は、訴訟ではない方法で裁判所に手続を請求する形になると想定されています。制度の詳細は公表されていませんが、基本的には「一度の手続で投稿者を特定」できるようになるようです。
従来は、「仮処分申立て」と「訴訟」の2つの手続が必要でしたが、新制度では「開示命令の申立て」のみで投稿者を特定できるとされています。この制度が創設されれば、被害者による投稿者の特定が容易になることから、誹謗中傷等の抑止力となり得るでしょう。
手続の簡素化だけでなく、発信者情報の開示要件の緩和も検討がなされています。ただし、開示要件の緩和は、表現の萎縮を招くリスクがあることから慎重に検討すべきで、現行の要件を維持するようにとの有識者の声が多く、現実化しない可能性が高いといえます。
発信者情報開示の新制度が創設されることによって、どのような変化が起きるのでしょうか。良い影響だけでなく、懸念される問題についても解説をしていきます。
投稿者を特定する手順が今よりも簡素化されれば、個人への誹謗中傷が減少すると想定されます。被害者が誹謗中傷の加害者を特定して、損害賠償請求や刑事告訴に踏み切る事案が増加すれば、加害者が誹謗中傷は違法行為であると自覚しやすくなるからです。
インターネットに個人を特定できる形で誹謗中傷を行うと、名誉毀損罪に該当する可能性があります。名誉毀損罪の刑事罰は、「3年以下の懲役もしくは禁錮、または50万円以下の罰金」です。酒気帯び運転の刑事罰は「3年以下の懲役または50万円以下の罰金」であることを考えると、名誉毀損罪は軽微な犯罪とはいえません。酒気帯び運転と誹謗中傷を同列には考えることはできませんが、いずれも人の生命を脅かすおそれがある行為です。
新制度の創設により投稿者の特定が容易になれば、違法な書き込みをした投稿者が刑事告訴される事例の増加が想定されます。そういった事例が報道されれば、「誹謗中傷は犯罪である」と強く意識されるようになり、誹謗中傷の投稿は減少する事が期待されるでしょう。
従来は自身の権利が侵害されていても、損害賠償請求や刑事告訴は簡単なものではありませんでした。経済的に余裕がある方であれば、発信者情報開示の後に損害賠償請求訴訟まで行い、まとまった慰謝料を手にすることもあります。有名人であればクラウドファンディングによって資金を調達し、訴訟を提起することも不可能ではありません。
しかしながら、経済的にゆとりがなく、知名度も低い一般の方が損害賠償請求を行うことは非常に難しい状態でした。損害賠償請求が認められても、それまでの弁護士費用等で赤字となってしまうリスクも考えられるからです。
ところが、新制度の創設によって投稿者の特定が容易になれば、一般の方でも損害賠償請求や刑事告訴が現実的な選択肢の1つとなりえます。これまで泣き寝入りをしていた方が、加害者から十分な謝罪や賠償を受けられる可能性が高まるのです。
発信者の特定が容易になることで、様々な懸念事項が有識者から挙がっていますが、特に問題視されているのはスラップ訴訟の増加です。スラップ訴訟とは、訴訟を提起することで相手を恫喝するような訴訟のことを指します。
明確な権利の侵害がなされていないにも関わらず、投稿者特定の手続を行った場合、法的な知識を持たない方が、応じるべきではない示談金の支払いに応じてしまうおそれがあります。
現行の制度においても、名誉毀損等に該当する可能性が低い書き込みであっても、プロバイダを経由して「発信者情報開示が請求されている」と通知されただけで、慰謝料の支払いに応じてしまうというケースも考えられます。
一部のインフルエンサーが、自身への誹謗中傷が名誉毀損等に該当するとして、多数の投稿者に対して発信者情報開示の手続を行い、示談金の支払いを受けた事例がありました。中には、投稿の違法性が低いと考えられるものもあります。
現行の制度でさえ弁護士費用の負担が容易な富裕層が、一般の情報発信者の萎縮させるような手続を行うことがあるのです。投稿者の特定が容易になれば、その傾向がさらに強くなるおそれがあるでしょう。
ただし、これらの問題は総務省の有識者会議でも取り沙汰されています。今よりも使い勝手が良く快適なインターネットになるように、制度設計がなされていくと考えられますので、今後も制度改正の動向を注視していきましょう。
今回取りあげた発信者情報開示制度の改正や、新たな制度の創設はすぐさま実現するものではありません。新たな動きに、期待をすると同時に、「今まさに苦しんでいるのだけれど、どうしたらよいのか」と途方に暮れている方もいらっしゃるかと思います。
現行制度では、投稿者特定から、損害賠償請求までの手続は費用倒れになってしまうおそれがあるのは確かです。しかしながら、「投稿の削除」や「投稿者の特定」のみであれば、多額の費用をかけずとも対処できる可能性もあります。
現在進行形で、誹謗中傷に苦しんでいらっしゃる方は、お気軽に弁護士法人アークレスト法律事務所までご相談ください。